シリコンバレーだより(1)
ソフト先進国アメリカで活動中
【本拠地紹介編】
米国カリフォルニアにサンノゼ出張所を開設してから約4ヶ月、その前の準備期間を入れると約1年間、シリコンバレーを中心として活動してきました。 これから毎号、この辺の報告やウラ話を書いていきたいと思います。 まず最初の今回は、シリコンバレーの活動拠点(2拠点)を中心として紹介しましょう。
一つ目の拠点:アップル村のど真ん中のアパート
現在ある活動拠点の2ヶ所のうち1つは、ホテル事務所兼用のアパートです。 場所は、「クパティーノ」という所で、有名なアッブル社の通称「アップル村」のど真ん中にあります。まわりのめぼしい建物には全てリンゴマークがついていて、我々の入っているアパートの他の部屋にもかなりのアップルマンが入っている様子です。近くにクパティーノインというホテルがあるのですが、しょっちゅうアップルの人が会議を開いているので、私は「アップルホテル」と呼んでいます。フリーウエイの#280を降りて数分でアパートに着きます。
また、すぐ横には(アメリカの感覚でも!)大規模なショッピングモールが建設中で、出来上がるとたいへん便利になるでしょう。そして、このクパティーノの町には、日本人が多いのも有名です。 治安がバツグンにいいのと、子供の教育環境が良いので、日本の駐在員がたくさん住んでいるのです。 ショッピングモールを歩いていると、時々日本語の会話が耳に飛び込んでくるほどです。
日本では人の地位を知るのに所属の会社名を聞きますね。1部上場企業とか2部上場とかでその人の格(?〉が決まるような所がありますが、アメリカでは会社名はあまり関係なく、住んでいる所が目安になります。 シリコンバレーの最もよい所はやっぱり山の手で、「ロスアルトスヒル」や「サンドヒル」とかにはシリコンバレーのサクセサーの億万長者やキャピタリストがでっかい邸宅をドーンと構えています。その中でクパティーノは上流の部類に入るところですから、大きい顔をして「クパティーノに住んでいます」と言えます。
シリコンバレーはもともと土地が狭く、その狭いことが情報の伝達に有効で、その結果、今のハイテクエリアが出来上がったという説もあります。確かに話をしていても、誰を知っているとか誰の奥さんば誰の奥さんと友達だとかいう話がドンドン出てきて、その度に「シリコンバレーは狭いなー」と認識します。 土地が狭いせいで、土地そのものも高くて、東京ほどではないにしろ日本と同じ様な感覚です。現に我々のこのアパートですが、日本式に言うと2LDKで、月々1200ドルも払っています。 当然、日本の2LDKよりは、だいぷ広い感しがしますが。。。
2つ目の拠点:充実されつつあるオフィスです!
次にもう一つの活動拠点を紹介します。この拠点は、サンノゼ市の「OCLテクノロジーセンタ」内にあります。 OCLは、大阪府とサンノゼ市がお互いの情報交換を自的として設立したものですが、冗談で「OCLは Omron Computer Labolatory のこと!」と言っています。
ここには、社長以下スタッフが5人ほどいます。社長はダイアナという名前の日系2世で、京大に留学していたこともあるそうです。我々がいつもお世話になっているのは、ヨシコ・バルコンさん(この人は正真正銘の日本人)で、いわゆるセクレタリ業務をやっています。この他に、アキコ・ドラッカさん(この人も日本人)がいます。 彼女は、元アドビ社にいたそうで、技術的にも詳しい人です。そしてかの有名な、「シリコンバレーフィーバー」という本の訳者でもあります。
我々はOCL内にオフィスを一室借りており、そこには現在は机や事務用品一式、SX-9100Σが2台置いてあります。このSX-9100Σは、アメリカのUUNETと接続していますので、日本からもリモートログインすればアメリカのネットワークに直接入ることもできます。もっとも、リモートログイン時の電話代もバカになりませんが・・・。 LUNAも現在5台あり、近々15〜20台にするつもりです。 アメリカでのソフト移植とか、大学との共同開発、マーケティング等に使おうと考えています。
次に、シリコンバレーの面白い会社の中から、ISI社を紹介しましょう。
【シリコンバレーのおもしろい会社編】
我が社に関係の深いシリコンバレーの会社といえば、まず第一に紹介しなければならないのは、UiOS-B/D(LUNAの3種類のOSのうちの2つ)の導入元のISI社です。
何かの糸で緒ぱれていた?!
会社対会社の付き合いというのも男女の仲に似て、何かの糸で結ばれているような気がします。というのも、最初にこのISI社を見つけたのが1988年2月のUniforum(ダラスで開催)でした。これより以前から、BSD系のUNlXが欲しいなあという話はあったが、VAX版からの移植はチョット大変! ということで、話が延々になっていました。そのうちに、ひょっとするとソフト先進国のアメリカで真剣に探したら68030上のBSDはすでにあるんと違うか? そうでなくても68020+68851のシステム(68030とほぼ同じ)ならあるハズ! と思うようになった。ということで、この年の2月にはアメリカ中を68030版BSDを求めてウロウロしていたのでした。
そうこうしているうちに、UniforumでオモチャのロボットをUNlXで動かしているブース(これがISI社だったのだ!)を見つけた。立ち話をしているとDualのUNlXを持っているという。 その当時、DualのUNlXというのはまがいものばかりだったので、私もマユツバで聞いていました。会社の場所を聞くと「シリコンバレー」なので、「まあそのうち行ってみるか」と思ったくらいで、その他には大した成果もなく日本へ帰ってきました。
「一度シリコンバレーに来ないか?」「明日行くよ」で相手は絶句!
それから1ヶ月後、再びアメリカに出発することになっていた日の前日、そのISl社の社長がヒョッコリ長岡にやって来たのです。当然彼らは彼らのEWSの売り込みに来たのですが、こっちはそんなことそっちのけでBSDの話ばかりしていました。一通り話を聞いて、多少行ける!ような気がしていましたが、相手はEWSそのものが行けそうだ(売れそうだ)と思ったらしく、一度来いと言うのです。
「よくシリコンバレーには行くよ」と言うと、「いつ来る?」と聞くので、「明日」と答えると、相手は一瞬絶句! していましたけど、自分はすぐには帰れないからと代理の人を紹介してくれました。私もあんまり是非というわけでもなかったので、いいかげんに返事して別れてしまいました。
やっぱり縁があったのだろうか?
ここまでならまあ時々ある話でどうということはないのですが、何の因果か(自分でもなぜ行ったのかよく覚えていないのですが)その時にシリコンバレーのISI社を訪問してしまったのです。何の連絡もなしに突然行ったので、相手はびっくりしていましたけど。。。 それでも親切にいろんな説明をしてくれ、その時の印象がよかったのと、もちろん技術的にも面自そうだったので、話がずーっと進みました。
さらに、なんとあのだだっ広い「ハノーバーメッセ’88」(西ドイツで開催)でも、ISI社はOmronブースのすぐ横に出展していた − という風に何かと縁があるのです。
その次のステッブで、大調査団(?)をISI社に送り込んで最終的な技術チェックの後、サインアッブして現在のUniOS-B/Dのベースになるものが、晴れて導入されたのです。
UNlXを導入すれば付き合いもこれで終わるかと思ったのですが、OSを導入すればその上で動いている色々なアプリケーションが使えることに気づきました。 現在はそのアプリケーションソフトを導入すること、さらにはISI社のEWSと互換性があるのですから相互接続してシステムとしての使い方などビジネスの面での可能性がドンドン出てきています。
カチコチ社長と個性豊かな部下たち!
最後に、ISI社の主な人物を紹介しましょう。
★ John McNulty(社長)
一年ほど前に他杜から移ってきたばかりの人ですが、一言でいうとカチカチのマジメ人間。 日本でもこれ程の人はめずらしいと思うくらい。 従ってヘタな冗談はまったく通じません。 アメフトで鍛えた体力にまかせてまじめに仕事する人です。
★ David Wellerstein(海外担当)
社長とは正反対の性格。。。 完全なヤンキータイプ。いつも冗談をとばしているが、反面ではキチガイじみたAppleゲームファン(ハッカー)とのこと。 会社の自分の部屋には、ゲームソフトがゴロゴロしているそうな。(私は直接見ていませんが・・) 残念ながら、彼は現在ヨーロッパ担当になったので、直接会うことはなくなりました。
★ Harvery Goldman(マーケティング担当)
★ William House(セールス担当)
ISI社で交渉相手として一番手ごわい人。こっちの論理のスキをズバーとついてくる。
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