6月1日
先月はほとんど日本にいなくて、バタバタと動いていました。 一度はダラスからミネアポリス、日本を経由して中国とこれを1週間でやって、かなり疲れましたが、そのときの話を少々。
ダラスは、いつか以前に行った時に、ホテルがたまたま近くに有ったので、例のケネディ暗殺の現場に行ってみました。 特に何も有るわけでもなくて、例の教科書会社の倉庫は展示会場になっていただけです。 やはりこう言うのは行ってみないといけないと言う事がそのまま感じられました。 まず現場ですが、当時とほとんど変わっていなくて、例の映画で見るのと全く同じように見えました。 チョット裏に回ると鉄道が有って、いかにそれが近くにあるのかが良く実感できます。 実際の射撃があったとされる場所に立ってみましたが、本当にパレードの車の近くで、手を伸ばせば届くような近さでした。 また、公式に射撃の場所とされる教科書倉庫の窓から見ると、丁度射撃のあったところは少し下り坂になっていて、ビルの上から見ると、走行中の車はほとんど動かずにビルの上からと同じ視線上を移動していくように見えます。 もしここから狙ったのであれば、距離は有るものの狙い易い場所であるには違いありません。 もうかなりの時間がたっており、映画にもなり、いまだに話題にはなりますが、米国人の感じ方は、例のウオーレン報告は全く信用できないが、いまさら真相を探るために何かをする気持ちは無いと言うのが一般的だそうです。 ウオーレン報告にリンクを張っておきましたので、興味の有る方はGood Luck!!。 ちなみに上の絵はホワイトハウスに飾られている歴代大統領の肖像画です。。
次のミネアポリスですが、良く考えたら、ミネアポリスと言うかミネソタ州そのものに始めて行った事に気がつきました。ここはなかなか良いところで、飛行機の上から見ているだけでも木と湖が沢山有って、見るからに気持ち良さそうな所です。後で聞いたら、やはり全米でも住みやすいところのトップ5には入るそうです。しかし、冬は別で全くの大陸性気候で、シカゴも寒いのですが、大きな湖すらなくて、ものすごく寒いそうです。 そのためか、町の中心部は Sky Walk と言う廊下で結ばれていて、外に出なくても歩いてどこにでも行ける様です。もっとも中心部と言っても端から端までタクシーでも10ドルかかるか、かからないかの距離で、そう大きくも無い町の中心部も気に入りました。ミシシッピー川をはさんでセントポールと言う町と2つに別れていて、双子の町としても有名です。空港には日本語のサインもあって、たまたま飛行機で隣り合わせになった人の奥さんも日本人だそうです。 それにしても日本の女性は強いですね。 世界のどこにもその土地になじんで生活をしている。 枡添要一氏がテレビで「ゴキブリみたいに世界中どこにでもいる」と変な風に誉めていましたが、全くその通りで、先日もテレビを見ているとカナダの山奥の飛行機とまた飛行機とバスと車を乗り継いで2日がかりで行かないといけないところに、沖縄から結婚して行ってしまった女性の話がありましたが、全くそうですね。 特に広島とか沖縄とか、西日本の方が多いようです。
最後は、延々とミネアポリスから成田、上海と長距離フライトでした。 成田では例の、エンジンから火を吹いたと言うことでの避難と負傷騒ぎが有りましたが、ちょうどあの時に成田で乗換えをしていて、しかし全くそのことには気がつきませんでした。 事故がちょうどエプロンで滑走路で無かったのが幸いしたのかも知れません。 ミネアポリスからは1時間ほど遅れて着いたので、接続が心配でしたが、何とか間に合って、しかもその事故に巻き込まれずに済んで、本当にラッキーでした。
上海に着いてまずタクシーに乗りましたが、これが全く言葉が通じない。高速道路で行くことだけは何とか意志が通じたのですが、空港を出ると直ぐに大きな高速のゲートが有ってまずビックリ。 中国には大体1年に1回ぐらいしか行かないのでその変化が良く分かります。それにしても、高層ビルの建設ラッシュにはおどかされます。
一番最初に行ったのは天安門事件の前の89年ですから、大体10年前。そのときには高層ビルと呼べるのは、当時のほとんど唯一のホテルのジンジャンホテルの黒いシルエットが見渡す限りの平屋の中にぽつんと立っていたのが印象的でしたが、その後はどんどん高層ビルが建設されて、町中が中心部のような感じになってきました。 もっとも、ビルを作りすぎて、最近では事務所が余っているとの事で、建設中のものを見ても、突貫工事とは程遠く、大きなビルでも1人か2人細々とやっているという感じでした。 初代のジンジャンホテルは古色蒼然としていて、ラストエンペラーを思い出します。大きな部屋にベッドがぽつんと有って、トイレも古色蒼然としたものでした。その後あっという間に高層の円形の新しいものになってしまって、古い方はどうなったのかは良く分かりません。
最初に中国に行ったときの印象というか、言われたことは、「中国は広いが町は狭い」。 もっとビックリしたのは、20Kmぐらいの郊外に行ったとき、行くのに2時間はかかると言われて、何かの間違いと思いましたが、本当にそれだけかかりました。道が整備されていないので、時速で10から20Kmぐらいしか出せないのです。 やっとのことで訪問したところでは、まだ午後の3時ごろなのにバスで従業員が帰るところなのです。 不思議に思って聞いてみると、「今日は帰る日だ」との事。これでは全く理解できないので更に聞いてみると、交通手段が無いので、従業員は一度工場に出てくると、2-3日は泊り込みで仕事をして、それから家に戻ってまた2-3日やって来るとの事で、いかに交通手段が重要かと言う事を再認識しました。 上海の中心部もそのとおりで、徒歩か自転車、もしくはバスで行ける所しか中心部と言うかダウンタウンになり得ないのです。 従って町中がダウンタウン化して、どこにでも人がいっぱいと言うことになるのです。 ダウンタウンと言うか盛り場というかそう言うものが出来るのは、やはり交通手段が整備されていないと出来ないのです。 「にわか都市評論家」になった10年前でした。 (上の絵の元のはアニメーションGIFで花火が奇麗に出るのですが、あまりにも重いので止めました。 絵をクリックしてオリジナルをお楽しみください。)
上海と言っても、特にここはと言うところは無いのですが、ひとつだけ紹介しておきますと、「オールドジャズ」が平和飯店でやっています。かなりのお年の方が演奏するジャズで、お世辞にもうまいと言うわけでもなくて、リズムがチョットずれるところなどはご愛嬌なのですが、古い上海の雰囲気が出ていてなかなかのものです。平和飯店は例の川の堤防でテレビ塔が見えるところの近くにあります。 一度、時間が有れば覗いてみるのも一興です。
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5月2日
今年は冬に関東で大雪になったりで異常気象でしたが、最近も急に暑くなって、はや夏のような感じになってきました。 今年の冬は地球規模の異常気象で、北アメリカは気持ちの悪いくらい温かく、ヨーロッパでは寒かったようです。 連休前半は天気が悪いようでせっかくの休日がだいなしです。 連休といえば30日に乗った新幹線。 いわゆるラッシュの時間に乗ったのですがガラガラも良い所で、通常の日よりも空いていたと思います。 これでは日本経済も、、とつい思ってしまいました。
今日の読売新聞にちょうど「マルチメディアと国民意識」と題した全国世論調査の結果が出ていましたので、その紹介を少々。 20歳台では携帯電話を持っている、ないしは持ちたいが76%と、要するに全員が持っているという状況になっているのです。 反面70歳以上は11%とほとんど持っていないと言うような数字です。 面白いのはインターネットに関してです。 全体では28%で、ファックスと同じ数字になったそうです。 その中でも30歳台がトップで46%、反面50歳台が23%と全体の平均以下で、女性平均の25%にも負けているとは、同世代としては情けない感じです。 最近、団塊の世代のパワーダウンを言われていますが、こういうところでも影響が出ているのでしょうか。
記事にも書かれていますが、もっとも大きな問題は、こう言う50歳台のおじさんが職場の認可権を多かれ少なかれ持っているので、家庭ではともかく、職場でのデジタル情報化が遅れてしまうのでは? と心配になります。 恐らく大手の職場では多かれ少なかれ情報インフラは導入されているはずですが、これをどのように活かせるかが最大のポイントではないでしょうか? 特にミドルの役割は現場と経営トップとの橋渡しですから、現場の情報をいかに経営トップに、また逆に経営トップの情報をいかに現場へ効率的に伝えるかが重要なところで、これを自らやるのではなくて、情報インフラを最適化して実現することが必須です。 これを行うためにはそれなりの情報インフラに関する知識が必要になってきます。 要するに単に使うよりも、さらに深く情報インフラに対する基本的な理解が必要となってきます。
このような状況の中で重要なのが「セキュリティ」です(少々強引かな?)。 先日テレビを見ていたら、NHKで特集番組があって、いろいろ紹介されていました。 ポイントを私の目からまとめてみますと、(1)セキュリティがしっかりしている会社と、全然出来ていない会社が明確に分かれている。 (2)外部からの侵入もあるが、内部からの情報漏れも結構多い。 (3)Webとセキュリティは裏腹。 従ってISPで侵入できないところは無い(ハッカー談)。
(1)は要するに、チョット気をつければセキュリティレベルが格段に向上することを示しています。 笑い話に「うちの会社はファイアーウオールを入れたから絶対に大丈夫」と安心していていたら、設定をいい加減にしていたので、ほとんどザルだった、と言うようなものがありますが、全くその通りですね。 ファイアーウオールの設定は究極的には利便性とのバランスです。 セキュリティレベルを上げると使い勝手が悪くなります。 要するに使えないサービスが出てくるのです。 この判断は現場では出来ませんので、やはりマネージメントの関与が必要になってくるわけです。
(2)は意外に見逃しがちで、と言うより身内を疑うのが憚られると言う心理学の問題です。金融機関の不祥事を見てもやはり内部事情に通じた者の関与が大半です。 従って、このようなコンピュータセキュリティのレベルを監査するビジネスが続々誕生していますが、この監査では、コンピュータシステムは勿論の事、物理的なセキュリティに関しても最大の関心を持ってチェックすると言うことです。
(3)はもっとややこしくて、外から見えるなら、入れるはずだ、と言う最も根幹の議論です。 根本的にこれを防ぐ手段はありませんので、侵入される事を前提にサイトは設計すべきでしょう。 重要なデータを置かなければ、たとえ侵入されても画面を書きかえられるぐらいが被害の最大でしょう。もちろん、基幹の情報システムとは完全に切り離しておかなければなりません。
今回はスイスの第2弾と行きましょう。 前回はシャモニーで高山病にかかってしまって終わってしまいましたが、今回はそこから更に列車に乗って、やっと国境を越えてスイスへ(よく考えたら前月はスイスにしようとして、フランスで終わっていました)。 まずマッターホルンのツェルマットへ。 ところが物凄く悪い天気になってきて、それでも登山列車は動いているので、乗り込みましたが乗客は私を入れて3.5人。半端は小さな子供。 一番上の駅まで行きましたが風が強くて吹き飛ばされそう。頂上のレストラン兼ホテルへはたどり着けませんでした。 しょうがなく近くの山小屋みたいなところへ非難。下りはそれなりに乗客はいましたが、これが途中で故障。1時間ほど止まったのですが、最初はいつまで止まるか分からないので、余程歩いて降りようかと思いましたが、止めておいて良かったようです。
次の日の朝も曇っていて、結局マッターホルンは見えずじまい。 気を取り直して次のユングフラウヨッホへ。 ツェルマットは例の氷河鉄道の始発点で、乗れるところまで乗っていきましたが、ほとんどガラガラ。 前の夕方にこれは予約をしとか無いといけないと指定券を買っておいたのですが、自由席のほうがガラガラで全くその必要が無かったようです。 いつかは、この氷河鉄道を端から端まで乗ってみたいものです。
ユングフラウの基地のグリンデルワルドはほとんど日本の町みたいですね。 日本語の看板がやたらと多い。 列車のアナウンスにも日本語が入る。 また、町ではガソリン車は禁止で電気自動車が走っていると言うことでも有名な町です。 ここから登山列車を乗り継いでユングの頂上まで行くのです。 どうするのか? と思っていたら何とアイガーの山の中にトンネルを掘ってその中を上っていくのです。 途中でアイガーの絶壁の真中に展望台があってそこから外が見えるのです。「アイガーの北壁」と言えば何となく余人の近寄りがたい所と言う感じがあったので、拍子抜けするやら、面白いわで複雑な気持ちになりました。 やっと頂上の駅に着きましたが、天気は悪化。 しかし、シャモニーでの経験を活かして、急がず、そ〜っと歩いて高山病には無縁で過ごせました。
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4月4日
3月は年度替りもあり、バタバタしている内に4月になってしまいました。 今年の3月の最後の方はバカ陽気で、桜も入学式の頃には丁度桜吹雪になる事でしょう。
今年もJavaOneの季節になリました。 これで3年目。 初回が5千人、昨年が1万人、今年は1万4千人と言うことで倍々ゲームにはならなかったようです。 今年の目玉は「パーソナルJava」と「エンベッデドJava」。 大体仕様が固まったところでしょう。 何とパーソナルJavaは WindowsCE の上で動くとのことで、マイクロソフトとの対決姿勢は多少弱まった感がありますが、Javaのライセンシーの一覧には出てきませんでした。 今年は予定が取れずにキーノートの前半のゴスリンのデモを見ただけでしたが、まあ何と言っても今年の成果? はスコットマクネリとビルジョイと話せた事でしょう。 公衆の面前では近づく事もままなりませんが、さる内輪のパーティで誰にも邪魔されずに話せました。 特にビルジョイは、私の現役の頃は神様みたいな存在でしたから、そう言うと、そんな事は無いよと言いながらも結構嬉しそうでした。
見世物の目玉は「Javaリング」です。Javaを仕込んだ平たいボタン電池みたいなのを指輪にしてみんなに配ったようです。 会場には大きなコーヒーマシンがあって自分の好みをこの指輪に入れておいて、このコーヒーマシンに指輪を当ててデータを入れると自分の好みのコーヒーが出来上がるという寸法です。 電力はコンタクトしたときに取り込むのですが、通常はバッテリーで10年持つそうです。サスガは元のバッテリー屋さんですね。 このリングと関連の機器は Web から買えるようです。 クソ真面目に商売するよりこうやってサンプルを高く売り付ける方が現時点では最高の商売とは陰の声。
もう少し真面目に考えるなら、そこら中にCPUが存在する「ユビキタス・コンピューティング」がやっと現実のものになってきたと言う事でしょうか。 かつて、世界がコンピュータを通じて結合されると言う「ネットワーク・コンピューティング」が言葉では語られてはいたものの、現実的には(私を含めて)実現の可能性はほとんど信じていませんでした。 まあ自分の生きているうちには実現できるはずが無かろうと思っていたのですが、インターネットと言うかモザイクからネットスケープの出現でアット言う間に実現してしまいました。
同じように、坂村さんが言い出した「トロン」プロジェクトもここで言うユビキタスコンピューティングを目指していたのですが、実験の域を出ませんでした。 しかし、事ここに至っては完全に実現の可能性が出てきたわけです。 こう言うのはやはり誰がと言うような個人の単独の力と言うよりは世の中の流れ、言うならば「歴史の必然」のようなものを感じます。 ちなみに、有名な「非ユークリッド幾何学」はガウスを含めて3人が単独に同時に思い付いたそうです。 その中の一人は「こんなとっぴな事を同時に考えるのは不可能に近い。俺のアイデアを盗んだに違いない。」と思い込んで気がおかしくなったそうです。 サスガに偉大なガウスはこんな事を発表すると周りから総攻撃を受けて学者生命が危うくなると考えて、死後にその資料を発見されるまで、完全に秘密を守ったそうです。 サスガに巨人と言われる人はそれなりの余裕と言うか政治感覚が必要なのですね。
さて、恒例の海外事情ですが、段々と手持ちの話題がなくなって来ましたが、窓の外の天気があまりにも良いので、何の脈絡もなくスイスにしましょう。 スイスにはフランス側から列車で入りましたが、この入り口のフランス側には「アネシー」と言う町があります。 ほとんど有名ではないのでご存知の方は大変少ないと思います。 いつかテレビで紹介の番組がありましたが、日本からのテレビカメラは初めてと言っていました。 鉄道地図を見ると、交通の要所らしくて大きく載っています。 小さな町ですが湖があって、フランスと言うより完全にスイスです。
パリから夜行列車でほとんど寝れず、おまけに早朝に着いて駅の売店で朝食をとって、小さな町だからと歩き出したのが間違い。 反対側へ行ってしまって、おまけに誰に聞いても、地図を見せても要領を得ません。 次の乗り継ぎの列車が来るので、しょうがなく駅へ戻りましたが、そこではたと気がつきました。 出発まで少しあるので、近くに1台だけいたタクシーに飛び乗って町を一周。写真を撮って戻ってドンピシャでした。 コジンマリした小さな町でしかしものすごく奇麗で、そう何日もいる町では無いでしょうが、丸一日ボケっと過ごせば心からリフレッシュされるのは間違いありません。
そこから列車に乗るとアッと言う間にスイスのシャモニーです。 スイスはこの時は 3泊ほどしましたが、最初から全く宿は確保していなかったので、午前中に移動を完了してまず宿を確保、それから行動と言う鉄則を守りました。 従ってまず宿。 駅前のレストランの上に部屋がある宿を確保。それからモンブランを眺めながらのビールと昼食。天気も良いし最高でした。 しかし、これがちょっとした失敗の始まりとは気が付くはずもありません。
それから、そのモンブランに上ったのですが、これがものすごく高い。 ゴンドラを2‐3本乗り継ぐのですが、最後の方はほとんど真っ直ぐ上に引き上げられて、何の事はない要するにエレベーターです。 とか何とか感心していると気分が悪い。 つまり高山病。 道理で途中の乗換駅でみんな休んでいると思ったら、ここで昼食をゆっくりとるべきだったんですね。 後の祭り。 写真を撮ってくれたお兄さんに「笑って、笑って」と言われてもねー。。
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3月1日
2月が28日までと言うのを忘れていて、気が付くと3月でした。 今年の風邪はなかなかしつこくて、やっと少々マシになってきましたが、今度は花粉症に悩まされると言うように次から次へと難題が持ち上がります。 このページを社内報に小さく載せたせいなのか、今月の後半は急にアクセスが増えまして、めでたく5000ヒットを越えることが出来ました。 これからも出来るだけ面白くしていこうと思っていますのでよろしくお願いします。 特に検索サービスに登録しているわけでもなく、また日本のサイトでは無いので検索ロボットも見逃すことが多くて、ヒット数を上げようとしているわけでもないのですが、やはりヒット数の多いのは励みになります。
先日の誕生日には総数で10通を越えるメールをいただきました。と言っても知り合いからは数件で残りは全く知らないところからで、それもヨーロッパとかが多かったような気がします。 というのは、私は自分では覚えていないのですが、誕生日を登録するサービスがあって、それにイタズラ半分で登録したようです。 そのデータベースからいろんな人や会社がメールアドレスを取って、送ってきたようです。 これだけなら、どうという事もないので、ここで紹介するほどの事もないのですが、感心したのは当然送られて来るはずのギラギラした宣伝がほとんど無かったことです。 単純に「おめでとう」と言うのから、わざわざ「これは宣伝でもなく、何かを強要するものではありませんが、もしよろしかったら、ホームページをチョット覗いていただくとありがたいのですが」と言うのまで極めてみんな紳士的なメールばかりでした。最近は、ネズミ講まがいのものの勧誘や女性の誰かさんの部屋に隠しカメラをつけましたとか、こんなメールが段々増えてきたので、こう言う紳士的なメールにはホッとさせられました。
最近はプロバイダに自主規制を要求したり、暗号技術を使った情報保護や本人認証が法制化されるとい言うような動きが盛んになっています。こう言うことを考えていくと、私が常々言っているように今年はセキュリティ元年になる事でしょう。
それにしても最近のショッキングな出来事は某議員の自殺です。 私とはレベルが全く違いますが、同じように学生運動のさなかに大学を出て民間に就職してそこからはかなり異りますが、何となく身につまされる出来事でした。 報道に寄ると彼はホームページを開いていてそこに「死」について書き込んであったという事ですが、2日ほどして他のページを見ているついでに探してみました。本家の方はすぐに閉じられたようですが、もう一つの方は海賊版なのかどうかは分かりませんが、これを書いている時点でもまだ存在しました。全部自分でやったそうで、確かにそんなに凝ったことは出来ていないので本当でしょう。
これはこれで良かったのですが、たしか他のどこかと思いますが、BBS風に書き込みが出来るところがあって、数百件ほどの書き込みがありまして、ほとんどはご冥福を祈ります、と言うようなものでしたが、何件かは「所詮、団塊の世代というのはこのようなもので、いざとなったら逃げ出すものだ」と言うような書き込みがあって、全く同じ世代の人間として腹が立つやら、そうかも知れんという感情が入り乱れて、いろいろ考えさせられました。
ついでに政治家のページを探してみました。予想したより沢山あって中には自分の国会質問の議事録を全文載せている人もあって、結構大変だなと言う感じがしました。 これを議員の秘書がやっているのなら、それこそお金がいくらあっても足りないのかも知れません。 もっともホームページで情報発信すること自体が重要なことですから、これには反対にもっとお金をかけないといけないのかも知れません。 結果的には政治とインターネットの関連を考える良い機会になった事はたしかです。
今回は先月に行ったところをネタに何か書こうと思っていたのですが、風邪で全ての予定をキャンセルしたので今回はネタがありません。 と言っていてもしょうがないので今回は中国の話にしましょう。 そう何回も行ったことが無いので偉そうなことは言えませんが、ウルムチからバスと列車と飛行機を乗り継いで西安までシルクロードを逆行(と言うのかな?)したことがあります。ウルムチは現在では独立運動で危険地帯です。いつかたしか列車が爆破されたことがあったと思います。 これに限らず、面白いところは大体危険ですね。しかし旅行社もさるもので、本当に戦争をドンパチやっているところ以外はどこでも行くそうです。例のカンボジアで停戦が実現したと言うニュースを見ていると既に旅行者が訪問していました。
ウルムチの話ですが、ここは100万人都市で、行ってビックリ。大きな大手のホテルまであって、どんな田舎に行くのかと半分期待、半分恐ろしさだったのですが、拍子抜けしてしまいました。 中国の人でもここへ来てビックリするそうです。 もっともシルクロードらしかったのは、ウルムチからチョット東に戻ったところにあるトルファンです。吐魯蕃と書くと何となく雰囲気が出ますね。町中に葡萄があって、ワインは有名です。この辺りに来ると中国語はたしかに喋られてはいますが、音楽や臭いは中東と言って差し支えないでしょう。バザールなんかは全くの中東です。
こんな調子でひどいときはバスに一日中乗って過ごしたこともありますが、なかなか面白い旅でした。
私は団体旅行をするのがこれで2回目で、通常は必ず自分で予定を作って自分で出かけるのですが、この時ばかりはサスガに団体で行きました。トルファンから夜行列車に乗って敦煌まで。ここは例の敦煌の莫高窟があるところで、どんな辺鄙なところかと思っていますと、結構な観光地です。 ここで参ったのがトイレ。どうもお腹の調子が悪くなって、トイレに行きたいと探したのですが、公衆トイレは大も小も同じで仕切りもなく、単に四角い穴が空いているだけ。当然トイレ自体のドアなんてあるはずもありません。 スカスカの丸見えで尻を丸出しにして糞をひりだすと言う情けないと言うか、得難い経験と言うか、大変です。それでいて回りは結構な日本の観光地で土産物屋もあるという不自然さ。女性の方は心して行ってください。 しかし、いつかテレビで舛添要一が言っていましたが、日本の女性はゴキブリみたいに世界中にいる、と変な誉め言葉で評していましたが、本当は女性の方がいざというときは、強いのかも知れません。最後は飛行機で西安まで云って、例の秦の始皇帝の兵馬俑に圧倒されて帰ってきました。
こんな奥地と行っても結構道は整備されていて、ガソリンスタンドもそれなりにあるので、元気のある方は中国の沿岸部から車でヨーロッパまで行ってみてはどうでしょうか? ホテルのロビーでボーッとしていたら、白人のバックパッカーがチャンと来ていました。彼らは元気ですね。言葉も何も分からなくてもどんどん出て行きます。実は私の学生時代からの夢は日本から韓国へフェリーで行ってそれからずーっとシルクロードを走ってヨーロッパまで行くことです。 まだ韓国の北の方が通れないようなのですが、これも時間の問題と思っております。体力のあるときに何とか実行してみたいと常々思っておりますので、同じような夢を持っておられる方は是非メールを下さい。
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2月7日
忙しかったのと風邪でダウンしたのとで、今月は大幅に遅れてしまいました。 今日を逃すとますます書けなくなりそうで、ゴホゴホしながら書いております。 ネットサーフィンを少しでも楽しんでいただこうと、毎月写真を載せています。 写真を直接クリックしていただくと、別のホームページに行けます。 話の主題に直接関係している場合もありますし直接関係ない場合もありますが、ネットサーフィンのキッカケとしてご利用ください。 適当なホームページを探すのも結構大変ですが、私もこれをキッカケに全く異る分野のホームページをみる機会になっています。
最近の政治の世界では、日本の「沖縄基地返還問題」と、アメリカのまたもやの「大統領の疑惑」が新聞を賑わせています。日本ではこう言うようなセクハラがらみではなくて官僚の「接待疑惑」が毎日のように登場しています。 日本とアメリカの程度の差はあれ大きな差は、偽証をしたかどうか、つまり平たく言うと「嘘をついたかどうか」がアメリカではもっとも問題になります。歴代大統領はそれなりに疑惑があったわけですが、ニクソン大統領の場合も、結局は偽証をしたと言う点で決定的なダメージになったわけです。それゆえ最近はその業績を再評価する動きも見られています。日本では「嘘も方便」的な文化があってアメリカほどにはシビアにはみられないような気がします。 これも単一民族国家と多民族国家の差ではないかと思われます。 多民族国家ではお互いの信頼関係が元々薄いので、ここに最大限の注意を払うようになったのだと思います。 アメリカ人の出生地であるイギリスにしても、あの小さなほとんど日本と変わらないような国は、3つの国から出来ているのです。北はスコットランド、西部はウエールズ、中央だけがイングランドなんですね。 今でもスコットランドの通貨はロンドンでは通用しません。ウエールズの言葉は英語とは全く異る言語です。 こう言うことを見てみると、地政学上は同じような位置にあっても、いかに日本は単一国家であるかと言うことがひしひしと感じられます。
さて、インターネットの世界もますます情報インフラ化してきて、これ無しでは日常生活が出来なくなるような状況になってきています。 しかし、ごく最近にも大手コンピュータ会社がハッキングされて、パスワードが大量に流出したようです。 もともと「ハッカー」と言うのは「電話のタダ掛け」が発祥ですから立派な犯罪なのですが、なぜかこれにコンピュータが絡むと犯罪色は薄れて技術の高度性が印象として出てくるようで、これが何気ないハッカーを作り出す要因になっているのでは無いでしょうか?
最近、チョット覗いたコンファレンスでもVPN(Vertual Private Network) が話題を集めていて、対応した製品も沢山出てきています。 これはどういうものかというと、オープンなインターネットをあたかも自分だけが使っているようにしようというもので、例えば私とAさんがインターネットでデータのやり取りをしているとします。現状のままだとチョットその気になればそのデータは覗き見することができます。しかし、VPNの技術でデータを暗号化すれば覗き見は出来なくなって、あたかも私とAさんとの間に専用線が引かれているように使えるのです。従って、「バーチャルなプライベートのネットワーク」なんですね。
日常生活を考えても、例えば鉄道や道路などは生活インフラですからみんなの共同所有物つまり税金で作られて、保守されているいます。それを使うのは各自の責任であって、道路であれば、近くなら歩いてか自転車で、遠くなら自動車で、それともバスやタクシーで。 それぞれの使用料と言うか費用は自分持ちです。また危ないところに近づかないと言うのも常識として知っているわけです。
同じようなことがインターネットでも言えるのです。重要な情報や現金は、やはり現金輸送車を使い、冷凍物なら保冷車か冷凍車を使います。現金や冷凍物をそのまま道路の上を剥き出しで運ぶ人はいません。 Webはさしづめ街角の掲示板か看板です。 誰かがイタズラして内容を書き換えているかも知れません。 電子メールはハガキです。 誰かがチョット盗み見するかも知れません。
インターネットは完全な「グローバルスタンダード」です。従って、その中の危険な部分も良い悪いは別にして「グローバルスタンダード」に自動的になります。安全な日本から出なければこの危険な部分には無関係に出来たのですが、インターネットで有無を言わせず危険部分と付き合わざるを得なくなりました。
従って、インターネットの上では重要な情報には暗号をかけ、大きな情報は更に圧縮してその大きさを小さくコンパクトにして送るのです。これらを一括して行うのがVPNです。具体的には「暗号化ファイアーウオール」や「ポータブルPC用の暗号化ソフト」などが含まれます。これを使うことによって、例えば異る会社間での情報共有をイントラネット的に行えるようになります。これらはイントラネットに対して「エクストラネット」と呼ばれています。 こう言うVPNの機器が出そろってきたので、これからはますますインターネットの使われ方が多様化していくことでしょう。
今回もチョットカナダに行ってきたので、カナダの話にしましょう。私のもっとも好きな国の一つです。 人間が優しいのと食事が美味しい。 アメリカから行くとホッとします。人間はともかく、食事が美味しいのはどうもフランスの影響でしょう。ケベック州へ行く飛行機の機内アナウンスは英語とそれからフランス語。空港でも必ず英語の表記に加えてフランス語の表記があります。フランス料理の優雅さとアメリカのシンプルさが丁度うまくミックスされてほどよく仕上がったようです。 同じようなフランス系としては南部のニューオールリーンズで代表されるルイジアナのケイジアン料理があります。ちなみに、この「ケイジアン」自体が「カナダ人」がなまったものです。こちらの方は「ガンボ」とかいう辛いお粥のようなものとか、アメリカザリガニをそのまま茹でて食べるとか、もっと素朴で荒っぽいものに変化しています。 フランスからの移民がまずカナダに渡って、それから南下してルイジアナ辺りでメキシコ湾で行き止まりになったのがケイジアンです。
ちなみに、ニューオールリーンズはジャズのメッカで私も大好きなのですが、この他に私の知っている限りでは最長の橋があることはほとんど知られていません。 全長は25マイルですから40Kmもあるのです。 ニューオールリーンズの北に真ん丸な湖があって、丁度その直径に橋がかかっています。 長い橋は映画「ツルーライズ」で有名なキーウエストがありますが、あれはほとんどが島づたいで、本当の橋はほとんどありません。 これに比べて、ここの橋は本当にその長さが実感できます。これで通行料はたったの1ドル。雨の日には湖に突っ込んで行くような錯覚に捕らわれるそうです。 この他にもサンフランシスコの湾を横切る橋が2本ほどあって、これも結構長くて、おまけに真ん中が盛り上がっているので、その長さが実感できます。
カナダに話を戻しますと、やはり圧巻はバンフからジャスパーへのハイウエイでしょう。ほとんど車もなく、ロッキーの山々を見ながら途中でコロンビア氷河などで寄り道しながらゆったりと1日の行程です。バンフはほとんど観光地と化していて日本の観光地と間違えるほどですが、ジャスパーはひなびた田舎町と言う感じで大変に落ち着くところです。帰りはここからまた来た道を引き返すのですが、太陽に向かうのと全く同じ道なので、お金と時間の贅沢が出来る人は、ここから列車に乗ってバンクーバーまで行かれるのが良いでしょう。これがベストのルートでしょう。 家族で出かけたときは、時間の贅沢は出来たんだけど、もう一つの贅沢が出来なくて実現しておりませんが。
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1998年1月1日
明けましておめでとうございます。
毎年、年初にはインターネット関連と言うかPC関連での今年の話題の予想をしています。 昨年は「モーバイル」と「プッシュ」が入り乱れてしまい、はやり邪念が入ると駄目と言う見本みたいでした(^^;;。 今年はどうかと言うと、これは「セキュリティ」でしょう。 情報先進国のアメリカでは数年前から話題になっていましたが、日本でも某大研究所がハックされたことをキッカケに徐々に機運が高まっています。個人認証を行う認証局の事業化も現実になりつつあり、単なる安全という意味のセキュリティだけでなく、こう言った個人認証のような現実の電子個人取引に必要な仕組みの必要性が認識されてきたのでしょう。
電子取引(EC)が話題のほどには進展しないのは、なぜか? と言う基本的な問題がありますが、私はこれはやはり、いわゆるバーチャルマネーとリアルマネーの相互交換の保証にその原点があると思います。 リアルマネーにしても元々は「金塊」との交換を政府が保証したものでした。 各政府がその保証をだんだんとアキラメて、最後は米ドルを最後の拠り所とした、間接的な金交換システムになってしまったのですが、それも1970年代の始めにいわゆる「ニクソンショック」で終結して、この時点で今使っている通貨というのは基本的にはバーチャルマネーになってしまいました。良く言われる単なる紙切れになってしまったのです。
EC上のバーチャルマネーの問題も基本的には同じことなのですが、政府が保証している訳では無いこと(先ほどの例でも保証にはなりませんが)、つまり一般社会通念として確立しているわけでは無いことが大きな理由でしょう。 プラスチックマネーと呼ばれるクレジットカードも要するにクレジットでお金(リアルマネー)を一時的に借りているだけなので、いずれは(2ヶ月以内に)リアルマネーで返済しないといけないと言う点では、いくらインターネットの上で使われていようともリアルマネーである事には変わりありません。
リアルマネーからバーチャルマネーへの交換は極めて簡単にできまが、逆にバーチャルマネーからリアルマネーへの交換は保証されているとは言い難いものがあります。金本位制の場合でも、現実に金に交換するかと言えばそんなことは無くて、単なる心理的な安心感だけだったのですが、仕組みがまだ完全に出来上がっていない時は現実問題として相互の交換が必要となってきます。
ここに大きな問題があると思います。交換が一方通行なので、心理的にバーチャルマネーに交換したくないと言う作用が働きます。バーチャルマネーが少ないので使える店が少ない。それでますますバーチャルマネーが流通しなくなると言う、悪循環を起こしているのでしょう。 金本位制の時でも給与は金では無くて紙幣で支払われたように、給与がバーチャルマネーで支払われたら、この世界は一気に大きくなるでしょうが、先ほど言ったように悪循環に陥っているのでそれもできません。 ここで「呼び水的なバーチャルマネー」が必要となってくるのでは無いでしょうか? 政府がリアルマネーとの交換を保証したバーチャルマネーを税金の還付のような形で支給すればこう言う問題は一気に片付くのかもしれません。
ところで、バーチャルマネーの社会インフラ的な存在意義は何でしょうか? こう言う基本的な議論は既にどこかでされているとは思いますが、これは私の本当の私見です。 結論から言うとハンドリングコストの低減ではないでしょうか? 金から紙幣への変化も基本的には金での取引より紙幣の方が便利と言うことでしょうから、通貨の変遷の歴史はそのハンドリングコストの低減の歴史であると言っても過言では無いでしょう。 特に少額の現金のハンドリングコストの低減は社会そのものの運営コストを下げる働きをします。 ここに基本的な存在意義があると思います。
私はこの分野の専門家では無いのでキチンとしたデータがあるわけではありませんが、古くは大きな石の貨幣から金やダイヤモンド、紙幣、クレジットカード、バーチャルマネーに至るまでのハンドリングコストの低下には大きなものがあるに違いありません。
年の最初から難しい問題になってしまいましたが、昨年はとうとう年間の実飛行距離が10万マイルを越してしまいました。また生涯の実飛行距離も100万マイルを越して、こう言うのは新幹線の無いアメリカでも珍しいそうです。 こう言いながらも、今回もまたロサンゼルスに行きました。1年にこれだけ行ったのは始めてで、更にエルニーニョのせいかどうかは分かりませんが、雨降りが続いたせいでスモッグが洗い落とされたのか、今まで見たことの無いような、本来のカリフォルニアのきれいな空でした。 また、少し北の方に行ったので、ロスとは思えないほどのんびりしていて、ロス新発見の一日で、今まではあんまり好きでは無かったロスが少しは嫌いでは無くなりました。
さて、アメリカの飛行機の手荷物の持ち込みが厳しくなってきました。以前はせいぜいガーメントバッグと言う2つ折りのスーツを入れるのものとアタッシュケースだけでした。 しかし、最近ではだんだんと大型化してきて、例の縦長のスーツケースみたいなのに車輪がついたものが流行り出してからは、みんながあれを持ち込むために機内の荷物入れがいっぱいになってしました。 これだけなら良いのですが、機体の重量バランスがとれなくて問題になっています。 各航空会社は今まではあまり見掛けなかった手荷物の大きさを計るものを搭乗口に置いて意識を高めようとしています。特定の空港では手荷物は2つとの限定の厳密な運用を試行しているようです。
私は基本的に預けるのが嫌いで、と言うのは預けると無くなると言うのが常態化しているためです。 統計によると紛失する荷物は全体の 0.1% だそうですが、私の場合は50%、つまり2回に1回は無くなることになります。 飛行機の荷物の記事を新聞で見ていたら、同じような事が載っていて、その人は毎年私と同じように10万マイル以上乗る人ですが、生涯で今まで5回預けてそのうちの半分は紛失したそうで、統計の数字はともかく、同じような人がいるので気を強くしました。
もっとも、無くなるとは言っても、単なる積み残しですので次の日にはキチンと配達してくれます。分かっていたら、最初から言ってくれれば良いのに、ターンテーブルが止まるまで待ってそれから文句を言いに行くと言ってくれると言う、これは何とかして欲しいものです。
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