96年の今月の一言



11月29日

以前に約束した通りCOMDEXの報告をします。 最近は行っていなかったので、良く分かりませんでしたが、会場が昔のようにあちこち散らばっていないだけでも助かりました。 以前はシーザーズパレスのようなところまで展示があって、移動だけでも大変だった事を思い出します。飛行場の近くには、たくさんホテルが出来て、ニューヨークのミニチュア、と言っても1/3の大きさだそうですが、建設中でした。 おかげで私の行くはずのホテルがその陰になって見えずに大分遠回りしました。

さて、問題の話題ですが、初日のキーノートはインテルのアンディ。どこかの移民でえらく訛があるという事で覚悟をしていきましたが、何と言うことはなく、きれいな英語でした。 その中で彼曰く2011年には10GHzのクロックで100KMips、10億トランジスタのCPUになるとの事。 人間の脳細胞は確か140億と言われていますから、あと一桁に迫る訳で、自分が生きている内には行き着くところまで行き着くのか? と一瞬思いました。 2011年の話は、それでも設計の複雑さは4000倍になるそうです。この辺は半導体の設計者らしく、過去の苦労がにじみ出ています。 絶縁のための酸化膜は20オングスロームで、要するに原子が20層並ぶ計算になります。 デザインルールは0.07ミクロン。

1990年にインテルが2000年には2000Mipsになると言ったときは、そんなアホな、と思いましたが、今回は私にとって妙に説得性がありました。 たしかに4004、8008、8080、8086、386、486、Pentium と並べると確にそのカーブに乗っかっているわけです。 それで結局このCPUパワーを何に使うのかと言えば、要するにデジタルテレビ。 非常にリアリティのある画面でインタラクティブに何かをすると言うことでしょう。

次の日はビルゲイツ。例のごとくたいしたことは言わずに CEにも一言触れただけ。全体にはインターネット社会みたいなものを、いかにもお金のかかった様なデモと言うかプレゼンをやってくれました。 従って楽しかったが何も後には残りませんでした。

3日目はネットスケープのジムバークスデール。 何故かジムクラークは出てこない。 予想通りと言うかやはりと言うか、最初はお金の話で、いかにインターネット関連の会社のリターンが良いかという話から始まってみんなうんざり。 だけど最後は元マイクロソフトのエンジニアと言うのが95のGUIを取り込んだ物をデモしてやっとみんな満足。 これはステージの下でビルゲイツが密かに見ていたと言うウワサ話まであります。

展示は予想したNCもほとんどなく。ザウルスのようなPDAが幅をきかせていましたが何となく熱気は感じられませんでした。 音声認識は私も興味があっていろいろ見ましたが、確に数は大幅に増えていますが、内容は貧弱。 ほとんどデモとして動かないものまである始末。 目立ったのはビデオコンファレンスと言うかビデオカメラ。 単体からシステムまで何でもある。 当然ですが、特殊ハードが必要なものは画像品質が高く、不要なものは低いというそれだけですが、まあいろんなものがありました。

圧巻は40インチのTFTパネル。某S社さんです。 設備代が大変やろうな、とか何枚の内の一枚何やろ? とかいらん心配をしておりました。 某M社さんはこれも40インチのこっちはカラープラズマ。 これもサスガに迫力がありました。

通信関連では通常の電話線のモデムで57Kいける、と言うものがあり、丁度ラスベガスに行く前に半信半疑で買っておいたので、こっちも必死になって聞きました。 どうもクリスマス商戦目当てのものらしく、レジストレーションをしておけば、来年の1月にモジュールを送ってくるとのこと。 登り下りで速度が違うとか、ホスト側には何らかの仕掛けが必要とかいろいろあるみたいですが、通常の電話線で57Kが出るのは本当に有り難い。 と書いているといつまでも書かなければなりませんので、今日はこの辺で。。


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10月22日

ちょっとブックマークがたまってきたので、整理を兼ねて、ここに収録してみました。 たくさんあると思いましたが整理をすると、意外に少ないものです。 特にシェアウエアはまあまあそろっていると思います。

最近プリントサーバーに凝っていろいろコレクションをしております。一昔前は一つの大きなワークステーションをプリントサーバに使っておりました。 現在でも結構こういう贅沢がまかりとおっています。 何しろ、立派なプリンタが2万円そこそこで入手できるのですから、何が主役で何が脇役かわからなくなってきました。 最近はごく小型のちょっと前ならプリントバッファと言われていたような小さな箱がプリントサーバーになっています。 たばこの箱の大きさの中に TCP/IP を始め Netware や NetBEUI が実装されています。 中には Telnet でログインできたり、 Web サーバーになっているのもさえあります。

これを使うと、パラレルポートが空きますので、他のもっと重要なビデオカメラとかスキャナーなどを専用で使えるようになります。 いずれにしても、せっかくの双方向のパラレルポートを単方向のめったに使わないプリンタに使うのはそれこそもったいないというものです。

更には、PCが2台、プリンタが2台という構成では、どういう風にプリンタの切り替え器をつないでみても使い勝手の良いつなぎかたは出来ません。 これが LAN とプリンタバッファを使うことによっていとも簡単に解決できます。 もっともプリントサーバーといっても万能ではなく結構使い勝手が良くないものもあります。 当初想定した、 Win95 をエミュレートするようなものはまだ無いようです。 これも時間の問題とは思いますが、現時点ではかなりメーカ間の落差が大きく、 台湾製のものなどはほとんどプリントサーバとは言えないようなものまである様子です。

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10月5日

前回にホームページの訪問カウンターを付けたところ、私の予想を遥かに越えるアクセスをいただいているようで、御礼申し上げます。これからは気を引き締めて充実させていきたいと思っています。

最近、立て続けにイントラネットの講演依頼があり、まったく同じ事を喋るわけにもいかず、少しずつ話題を変えながら、つたない話を申し上げましたが、やはり印象に残ったのはその関心の高さです。イントラネットにはいろいろな側面があるわけですが、私が強調しているのは業務革新というかそれよりもっと大きな捕らえかたで、企業構造の変革、更にはエンタープライズ・トランスフォーメーション(企業変身)と言う言葉もあるように、企業、組織のあり方に大いに関連してると言う事です。 戦後50年を超えて21世紀を迎えようとしている今、企業や組織のあり方が根本的に問われているのでしょう。 私もすでに年俸制になっておりますし、やがてはどんどん若年層にも広がろうとしています。 この点も大きな流れの一部として「企業変身」のささやかな第一歩でしょうがやがては大きな奔流となって21世紀の幕開けを迎えることでしょう。

先日、ヒョンな事からアトランタの Networld+Inerop を覗いてくる事が出来ました。 ソフトバンクが買収してから初めてだったので、さぞかし日本人が多いだろうと思っていましたが、予想に反してそんなに目立ちませんでした。 ソフトバンクの影響としては、事務局の対応がかなり良くなったと言うことを聞きました。 大体このような展示会ではレジストレーションが大変で、下手をすると初日の午前中がつぶれてしまうこともあります。 それで今回はあらかじめWebで申し込んでおき、当日バッジをピックアップすることにして、当日は早々と8時前に行ったところ、まだ受け付けは始まっていなくて、少々待った後受付に行くと、ノートブックがずらっと並んでいて、自分でセルフサービスで名前を打ち込んで自分を探し出して登録して、別のカウンターでバッジをもらうのです。 暗証番号も何も無し。 適当に名前を入れて選択すれば誰でもピックアップできるでしょう。 アメリカらしいおおらかなやり方です。 きっと間違って他の人のバッジをピックアップした人も多いのではと人事ながら心配します。

Webでの申し込みは完全に暗号化されているのと、自動化されています。申し込みのページに入ると Netscape の左下の鍵のマークの割れていたのがつながって、セキュア状態に入ったのを示します。 クレジットカード番号をいれると、今度はそれの認証を自動でやりますので数秒待たなくてはなりませんが、それですべて終了です。 最近の Web でのお金の支払いは全てこういう風になっていて、ソフトですとすぐさまダウンロードの為のキーワードをメールで送ってきます。 要するに販売は一種の装置産業になっているわけです。 特にソフトウエアの場合はダウンロードと言う手が取れますから、配送問題も無いわけです。 ECや何のと大騒ぎしている間に、アメリカの企業変身を済ませた企業やベンチャーは実質的に完全なECを実現してしまっているわけです。

展示会の内容ですが、雑誌などには極めてうまく紹介されています。 一人ではなかなかあそこまでは見切れません。 またプレス発表などは別にやるので、どうしても雑誌などの方が情報量は多くなってしまいます。 それでは雑誌を見ておれば良いのか,時間とお金をかけて行くことも無いのでは? と言う疑問が湧いてきますが、やはり百聞は一見にしかずと言うことわざの通り、現場を見ずに雑誌の記事を読むのと、見てから読むのでは雲泥の差があります。 最近は専用のツアーも多くあるようです。 オムロンでもやっと最近ツアーを企画するようになりました(PR)。

話題は何といってもギガイーサ。 やっと100Mイーサが使えるようになったと思ったら、ギガイーサです。規格も本決まりになっていないのにすでに5社ぐらいから製品のアナウンスがありました。C&CのCPUはすでに10年間で100倍以上のスピードアップを実現し、変身をとげましたが、通信は立ち後れていました。 これでやっと追いつく感じです。 しかし、LANはともかくWANに関しての変身はまだまだで、特に日本は立ち後れています。 各家庭や事務所に156Mとか600Mの通信インフラが当たり前になる時代は本当に世の中が変身したときでしょう。 それこそ、本当に産業革命以来の情報通信革命と後世のの歴史家は評価するに違いありません。

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8月27日

昨日ばたばたと外出の直前に思い付いて、ホームページのカウンターを作りました。いろいろやり方はありそうですが、最も簡単な方法でやってみました。興味のある方は一度お試しください。

先日ヒョンな事からラスベガスで開催されるCOMDEXに行くことになりました。最近は行っていないのでどう変化しているのか良く分かりませんが、ともかく最大のPCのショーでしょう。85年当時はまだコンピュータのショーという感じでワークステーションなども出展されていましたが、数年後から完全にPCのショーになってしまいました。だいたい一通り見るだけでも3日はかかります。特に面白い穴場的なものは本館ではなくて周辺のホテルでやっている所にあるのですが当然確率は低いので無駄足になりがちです。

今でも思い出すのは、ラップトップのパイオニアのGridと言う会社がはじめてノートブックを出したときです。みんなブースにわーっとたかっているので何かと思えばノートブックです。筐体はマグネシュウム合金で出来ていて、少々ふんずけても大丈夫と言うのが謳い文句です。その後個別に訪問して、日本で作らせろと言ったときは、この筐体が日本ではできんだろう、アメリカでも1社しかできない、と言われました。 当時は日本世界の工場になるんだとばかり製造の話ばかりをして回っておりましたが、あれよあれよと言うまに、PCですらアメリカで作られるようになってしまいました。

11月の後半にはCOMDEX報告が出来るものと思っていますのでご期待ください。

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8月1日

構いろんな方からお便りをいただきまして、何とかしないといけないと思っ ておりましたが、今日は頑張ってホームページの改築をしているところです。昨 今はインターネット・ブームも一段落と言うか、どんどん前に進んでネットワー クコンピュータとかJAVAに話題が集中して来ています。ECも話題を集めて いますが、例のオリンピックでは意外に不評であったと新聞には出ていました。

今年に入って Windows 95にしようと、いろいろ試してみました。 合計6台に延べ10回以上のインストールを繰り返して、やっと最近使えるようになりました。 やはり何と言ってもありがたいのはネットワーク。 ほとんどの事は95だけで出来るようになっています。 これなら自宅にLANを張ろうという気にもなります。 プリンタやファイルの共有から始まって、書斎と離れたリビングでノートブックでテレビを見ながら使うとかいろいろ考えられます。 3.1の時代は大変で、インターネットに繋ぐのが精いっぱいで、それもコンベンショナル・メモリの節約のためのありとあらゆる手を駆使してやっとつかえるという風でした。 マイクロソフトの考えとは裏腹にインターネットやネットワークが95を支えていると言うのは、皮肉な気がします。 ともあれ時代は動いているという事でしょう。 今後は出来るだけ毎月ごとに最新の話題やアメリカ状況を載せていきたいと思っております。


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自己紹介です

1947年 大阪生まれ、大阪府立高津高等学校
大阪府立大学電子工学部および大学院修士過程終了

アマ無線が盛んなころ、51.00MHz 1波しか使わない頃に車に積んで走りまわっていました。ついでに1.5万円で買った中古車で日本中を走り回っていました。丁度万博の年には大学院だったので、暇に任せてアルバイトにはげんで、当時の初任給の数倍を稼いでおりました。オムロン入社後、オリンピックにア ーチェリーが採用される前にオムロンにクラブを作ったりしていました。暇を見てはスキーに精を出し、写真に凝って、当時の事ですからモノクロで全紙に焼いては喜んでおりました。

昨今はインターネットばやりで、私もこうして自己紹介を世界に? 向かって発信できる時代になりました。元々ワークステーション開発をやったりしていましたので、インターネットはよく知っていましたが、ここまでメジャーになろうとは誰も予想もしませんでした。今年に入るとイントラネットばやりで、 尤も我々もインナーネットとかインフラネットとか言っておりました。しかし、これで今までもやもやしていたインターネットの事業部分がなんとなく見えてきて、元気が出てきたのではないでしょうか。 1996年2月


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