2.1996年はイントラネット元年
1996年の日本はイントラネットに明けてイントラネットに暮れた感じがが強くあります。 一昨年の秋頃からイントラネットという言葉はともかく、同じ事を意味する言葉であふれました。 対するグループウエアの代表であるノーツは「ノーツは死んだ」とまで言われ、インターネットの浸透を強く印象付けました。 その後、「ノーツは死んだという言葉は死んだ」と言われるように、グループウエアとの融合が始まりましたが、イントラネットは組織運営の変革という命題と大きく関わっており、さらにその進展の速度は速まっています。
イントラネット(intranet)の"intra-"は「〜の中」を意味する接頭語で、イントラネットは単なる組織内ネットワーク、社内ネットワークではなく、インターネットの技術を用いた組織内ネットワークの事を言います。 イントラネットという言葉が一般的になったのは、95年の秋か暮れあたりからだと思いますが、新聞や雑誌の記事には少なくとも95年の春には登場しているようです。 その後、夏から秋にかけて、イントラネットは徐々に米国情報産業界に浸透し、95年11月には、マイクロソフト社のCEO兼会長のビル・ゲイツ氏が、COMDEX /Fallにおけるキーノートスピーチで、これからのキーワードの一つとして"Internet & Intranet"を取り上げた事で、完全に一般化しました。 日本では年明けから新聞の紙面を毎日のように賑わす様になり、急速にイントラネットブームが広がっていきました。
しかし、イントラネットの意味するものは必ずしも明確ではありません。 人によっては、単純に社内用のネットワークをイントラネットと呼んでいるものもあるし、インターネットに接続されているWebサーバーをイントラネットとして紹介している記事もあります。 一般には、以下のような条件を満たすネットワークをイントラネットと定義する事にします。
まず、基本的にインターネットの標準に準拠していること。つまり特別の変換装置などを使わなくても、インターネットとの情報の伝達が出来ることです。 情報伝達の方法としては基本的な通信プロトコルとしてTCP/IPを使用していること、さらにその上で操作するメールシステムやWebがインターネットと直接つながることです。 また、企業内あるいは特定の組織内に構築されており、外部からアクセス出来ない仕組みになっている事もポイントの一つです。 これはいわゆるファイアーウオールの存在が必要になります。
私はこれに加えて、組織運営の方法に変革をもたらすこと。 と言う条件を付け加えたいと思います。 やはりこれだけ関心を集めるのは、いくらインターネット技術を使っているからと言って、それ自体は社内情報インフラには違いありませんから、単なる社内インフラとは異なる何かを秘めていると見て良いでしょう。 これが組織運営の変革です。 Network Wizards社によると、96年1月時点でインターネットに接続されているホストコンピュータ数は約1,000万台であり、毎年倍増していると言う事です。 控えめに見て、このホストコンピュータの約5倍を利用者と仮定しても、毎日最低10通のメールを出すとすると、5億通のメールが毎日インターネット/イントラネットの上を飛び交うと言う事になります。 さらにこのメールの90%が社内ないしは組織内での利用と言うデータもありますので、いかに多くのデータがイントラネットで伝達されているかが良く分かります。 ちなみに筆者の経験や新聞記事の話を総合すると、1日当たり200通のメールを処理するのが平均的もしくは限界のようです。 従って、将来はさらに10倍以上の情報量が予測できるわけです。
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